ここは?
東大寺は聖武天皇の発願により、仏の加護によって国家を鎮護する目的で建立されました。
現在の大仏殿は1709年に再建され、世界最大規模の木造建築物としてその威容を誇っています。
本尊である盧舎那仏(るしゃなぶつ)坐像は「奈良の大仏さん」として親しまれ、全国の人々に愛されています。
東大寺
東大寺は奈良時代に創建された日本国内でも有名な寺院です。またその代表的な存在として知られるのは奈良の大仏さまで、修学旅行で訪れる定番スポットになるなどその知名度はかなり高いです。
この寺院は、当時の都である平城京において、全国の国分寺の中心として建てられました。
大仏殿は、世界最大級の木造建造物として知られています。天平15年(743年)には、聖武天皇が生命の栄えを願って盧舎那大仏(るしゃなだいぶつ)の造立を詔し、
751年に大仏殿が完成し、翌年天平勝宝4年(752年)には壮大な大仏開眼供養が行われました。
その後、1180年と1567年には兵火によって主要な伽藍が焼失しましたが、都度再建されました。
境内には広大な敷地内には他にも聖武天皇が愛した宝物が保管されている正倉院正倉など、数多くの貴重な建物が残されています。
また、境内の東には寺の鎮守として創立された手向山八幡宮があります。
南大門(鎌倉時代)、法華堂(正堂/奈良時代・礼堂/鎌倉時代)、鐘楼(鎌倉時代)、大仏殿(江戸時代)、開山堂(鎌倉時代)、転害門(奈良時代)、本坊経庫(奈良時代)、正倉院正倉(奈良時代)、二月堂(江戸時代)の9棟が国宝建造物に指定されています。
南大門
平安時代の応和2年(962年)8月に台風によって倒壊し、鎌倉時代の正治元年(1199年)に復興された建物が国宝です。
この建物は、東大寺中興の祖である俊乗房重源が中国・宋から伝えた建築様式を採用し、大仏様(だいぶつよう、天竺様とも呼ばれる)として知られています。
大仏様の特徴は、柱を貫通する水平材である貫を多用して構造を堅固にし、天井を張らずに構造材を装飾として露出させている点などが挙げられます。
門内の左右には金剛力士(仁王)像と石造獅子1対(重要文化財)が安置されていて、上層の正面中央には「大華厳寺」と書かれた扁額が掲げられており、これは古い記録に基づいて2006年(平成18年)10月10日に行われた「重源上人八百年御遠忌法要」に合わせて新たに作られたものです。
大仏殿(金堂)
東大寺大仏殿(とうだいじだいぶつでん)は、東大寺の仏堂であり、盧舎那仏坐像(奈良の大仏)を祀っています。
東大寺の中心に位置し、境内で最も大きな建物です。
大仏殿は、1181年(治承4年)と1567年(永禄10年)の二度の戦火で焼失し、現在の建物は1709年(宝永6年)に再建され、日本の国宝に指定されています。
現存する大仏殿の正面の幅は57.5m、奥行きは50.5m、屋根の高さは49.1mです。奥行きと高さは創建当時とほぼ同じですが、幅は創建当時の約3分の2になっています。
『東大寺要録』の「大仏殿碑文」によれば、創建時の大仏殿は幅29丈(約85.8m)、奥行き17丈(約50.3m)、高さ12丈6尺(約37m)、柱数84であったとされています。
また、大仏殿の正面には奈良時代の東大寺創建当初から在るとされ国宝にも指定されている金銅八角燈籠があります。
奈良大仏(盧舎那仏)
東大寺盧舎那仏像(とうだいじるしゃなぶつぞう)は、奈良県奈良市にある東大寺大仏殿(金堂)の本尊であり、一般的には東大寺大仏や奈良の大仏として知られています。
この仏像は聖武天皇の発願により、天平17年(745年)に制作が始まり、天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われました。
仏像は後の時代に複数回焼失しましたが、現在のほとんどは再建されたものであり、初めに制作された部分はごくわずかです。この「銅造盧舎那仏坐像」は国宝に指定されています。
二月堂
「お水取り」(修二会)と呼ばれる行事が旧暦の2月に行われることから、この名前が付けられました。二月堂は治承4年(1181年)と永禄10年(1567年)の2度の大火にもかかわらず、焼失を免れたと言われています。しかし、寛文7年(1667年)にお水取りの最中に失火し、焼失してしまいました。2年後に再建されたのが現在の建物です。この建物の本尊は、大観音(おおがんのん)と小観音(こがんのん)と呼ばれる2体の十一面観音像で、どちらも一般の人々には絶対に見ることが許されていません。この建物は2005年(平成17年)12月に国宝に指定されました。
また建物からの見晴らしが良く、
東大寺境内の様子も良く見えます。
法華堂(三月堂)
境内の東側、若草山の麓に位置しています。この建物は、東大寺に現存する数少ない奈良時代の建築物であり、天平時代の仏教美術の宝庫として知られています。元々は羂索堂(けんさくどう)と呼ばれており、金鐘寺(こんしゅじ)という東大寺の前身寺院の堂として建てられました。建物の創建時期は天平12年(740年)から20年(748年)頃と推定されています。建物の北側(参道側から見て左側)には仏像が安置されており、寄棟造の部分は正堂(しょうどう)と呼ばれ、南側には入母屋造の部分があり、これを礼堂(らいどう)と呼んでいます。
伽藍
伽藍(がらん)は、僧侶が集まり修行する清浄な場所という意味で、東大寺の伽藍の配置は南から北へ、南大門、中門、金堂、講堂、僧房を伽藍中軸線上に一直線に並べ、中門から金堂へ回廊をめぐらしています。塔は回廊外にあって南大門と中門の中軸線を境に東西に配置する型式になっています。
先ほどの二月堂からはその様子も良く見えます。
正倉院正倉
正倉院正倉は大規模な高床倉庫で国宝に指定されていて、一般公開もされています。
見学は平日限定なので、その場合はご注意ください。
東大寺の駐車場は?
周囲には有料の駐車場が幾つかあります。
※写真は「奈良登大路自動車駐車場」という奈良県庁敷地内にある地下駐車場のものです。
東大寺の場所
駐車場