ここは?
月山日和城は都城市にあったお城で、現在は「池の城」の空堀部分に高城郷土資料館が建てられています。
月山日和城
南北朝時代に遡るこの城の歴史は、南朝方の武将・肝付兼重(きもつき かねしげ)によって築かれた「三俣院兼重本城」に端を発すると伝えられています。しかし、その正確な所在地については今なお議論が続いており、高城町石山にある「三俣城」を兼重の城とする説も有力視されています。
戦国時代に入ると、城郭としての規模が拡張され、現在見られる形へと整備されました。シラス台地の縁に巧みに築かれたこの城は、「池の城」「内の城」「真城」「本城」「中の城」「樽原」「取添」の7つの曲輪(くるわ)を有し、それぞれが重要な防御機能を果たしていました。
地理的に都城盆地北部の要衝に位置していたため、時代ごとに有力武将たちの支配下に置かれました。北郷氏、伊東氏、伊集院氏らがこの地を巡って争いを繰り広げ、幾度となく戦火に晒された歴史を持ちます。
時は流れ、昭和14年(1939年)には、作家・井伏鱒二が中川一政や尾崎士郎らとともに宮崎県に招かれ、当地を訪れました。その際、月山日和城を案内され、その感慨を作品『月山日和城』として残しています。
現在では、「池の城」の空堀跡に高城郷土資料館が建てられており、訪れる人々にこの城の歴史や文化を伝える役割を果たしています。
高城郷土資料館(月山日和城の中)
月山日和城の建物の中は資料館になっていて、施設概要 館内には、高城地区の豊かな歴史と文化を伝える考古資料、歴史資料、民俗資料が多数展示されています。
当館が建つ中世の城址「高城(月山日和城)」は、南北朝時代の武将・肝付兼重(きもつき かねしげ)によって築かれたと伝えられています。その後、約280年にわたり、城主が幾度となく入れ替わりながら、都城盆地を巡る激しい攻防の舞台となりました。
特に、都城島津家の発展に大きく貢献した8代当主・北郷忠相(ほんごう ただすけ)が晩年に居城としたことで広く知られています。
彼の統治下で城はさらに整備され、地域の要としての役割を果たしました。
また、展望室からは都城盆地を一望でき、往時の城郭の立地や周囲の景観を偲ぶことができます。
月山日和城(高城郷土資料館)からの眺め
建物の3階は展望台になっていて、都城盆地を一望できます。
遠くには霧島連山も見えます。



絶景です。
月山日和城の駐車場は?
無料で停められる駐車場があります。
月山日和城の場所
駐車場